2016年3月30日水曜日

せとうち暮らしの表紙

瀬戸内の魅力を独自の視点で伝える雑誌「せとうち暮らし」。
号 (Vol.18)も表紙を描かせていただいた。
青く素敵に仕上がって今までで一番好きだ。
今回は国生み神話の地、沼島に出張。
目的はドンザという昔の漁師さんが来ていた藍染めの羽織。
ようやく出会えたドンザは持ってみるとずっしり重い。
そして細密な想いのこもったステッチ。
その場にいた全員に畏敬の念を呼び起こさせた。
タイムリミット(=帰りの船)の迫る中、その貴重なドンザを丸めて積んで描いた。
現場では直感を大切に、というがさすがにリスキーな試みでどきどきした。
これを採用してくれた編集部に感謝。

nakaban

2016年3月26日土曜日

3/26


展覧会始まりました。
是非。

2016年3月22日火曜日

3/22

デッサンを描いて送って、あとは僕を送るだけに。

いろんな仕事と仕事の合間にそれこそ隙間のように時間を見つけてデッサンしていた。
ドラマチックなモチーフはなくてすべて仕事場に転がっているものを描いた。
密度のあるデッサンも多く描いたけど、それなら油彩すればいいかなと。
進めるうちにすかすかのへなへなな線画になって行った。

紙と鉛筆による一見古風な絵の一形態。
僕にとっては今でも有効のように思える。
決心は挫くものであるがデッサンは続けたい。
なぜなら、一つのもののヴァリエーションを描き続けることの楽しさはちょっと他では味わえない。
ヴァリエーションをいくら作ろうが違和感は拭えないままだ。
違和感がなくなるということはきっと無いのだろうな。
僕でも絵に描くその対象でも無いその中間地点を永遠に彷徨うことこそが見て描くことであるからだ。違和感の筆触を絵に運ぶように。

24日は初日なのでウレシカさんにいます。
ギャラリーも白いしデッサンだし白さの気持ちいい展覧会になりそうだ。
あ、でもときどき外の空気吸わせてください。
よろしくお願いします。

nakaban

2016年3月20日日曜日

dessins




デッサンは本人にとっては実験に満ちた世界だ。
実験の結果は描き終わった瞬間にカルトンに片付けられるものになる。
あるいはまれに「商品」となる。そのことを書く。

ピカソはデッサンがぞんざいに扱われると激怒したという。
乱暴な指により紙に折り目がついて、余分な視覚情報が付加されるためである。

つまりひとつには、こうだ。
離れた所からみるとデッサンは風通しの化身である。
紙は紙でなくなり、線は線でなくなる。そうなったときに風が通る。
君の部屋に、脳にだ。
その絵が飾られると君の部屋に白い穴が開いてもっとひろくなるような。
僕もそういうのが描けるようになりたいものだ。
(かように判りやすい線画でなく絵の具で描いた絵とかはどうだろうか、そのことはまた考えてみたい。)

僕は最近流行のシンプルライフ、とかミニマリズムとか、サードウェーブ男子 笑とか、ばかにしていない。
その気持ちがよくわかる。
きもちをどうでもいいことに向けたくない。
それもエゴだと思う。それでも詩に近づくのならいいことだ。

朝の金のひかりや夜の青い沈み。
そういう無形のものに感謝を捧げる。
ただ、そういう気分になるということは、モノを作って売るということが「業」になってくるってことなのだろうか。
これはおもしろい現象だ。
(しかしモノにも光は当たり、夜は訪れるのだが)

ただ、じゃまモノがなにも無いそういう「くらし」に憧れながらも僕は自分の部屋には李禹煥やマチスのデッサンとか、ニコルソンのモノクロームの絵くらいは飾ってみたいたいものだと思っている。

僭越ながら自分の引いたへなへな線のデッサンでもいいとおもっているのだよ。
でも自分のはちょっと違うかしらん。
ま、このモノのあふれた時代「商品」としては風通しを重視するのもいいのではないか。

だが、しかしである。
そういうのとやっぱり違う地点にあるものが絵画なのである。
だからあえてデッサンを人前にだしてみたいなと思ったのだ。
絵画はやっぱり「くらし」とは関係ない。

nakaban

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nakaban 個展「dessin」

2016年 3月24日(木)~4月11日(月)
火曜休み open:12時~20時


〒167-0042
東京都杉並区西荻北2-27-9
TEL:03-5382-0599


http://www.uresica.com

こちらも

https://jp.pinterest.com/nakaban/dessin


2016年3月6日日曜日

3/6


久しぶりに絵本のことを。


あかね書房の落語絵本シリーズに加えていただき、古典落語「ぬけすずめ」を題材にお江戸な絵本を(5月下旬刊)。
締め切り間近で進行中。

今ではコンピューターも画材の一つであり、ピカソがもし現代に生きていたらMacで絵を描いていただろう。(でもすぐに飽きてしまうかもしれないけど。)
それではデジタルならではの楽しさは何だろうかと考えて作業していた。
いろいろ思うこともあるけど、その前にとにかく締め切りだ。
この絵本ももう一年近く「描いて」いて、永遠に終わりがこないのではないか、と思っていたけど、そういう作業もいつかは終わりが来る。
トラックパッドをずっと撫でていても指紋って消えないものですね。




2016年3月4日金曜日

3/4


旅の途上の路上に立たせてくれるのが「絵」。
いい気分。
ここでもそこでもない場所をつくる。
自分の心の持ち方次第でカビ臭い監獄にもできるしきもちいい風の吹く丘にもできるんですな。
おそろしい。

さて仕事のほう…いろんな人にいろいろお待たせしてる。
少しづつ。
マルチタスクは効率的ではないと言われるが、それぞれの熟成は成されるのできらいではない。
人の役に立てることは素直にうれしい。
いったん忘れてもいいんだよ。
おっと。良くないだろ、って声が聴こえてきます。