2014年2月25日火曜日

2/25(hanau)




ドイツの炭酸水と綺麗なガラスの瓶。ホテルの部屋でくーっと飲みながらどこかの山奥の湧き水を思い描いております。

2014年2月23日日曜日

2/23 (kassel)

旅はつづきます。

2014年2月21日金曜日

2/21
























独逸Frankfurt空港着でDBに乗り換え北上。
雨しとしと。
今日から数日歩いて描く仕事。
絵の続きはいつか未来の紙面で。
とりあえず目指せ100枚。

2014年2月20日木曜日

2/20


















とにもかくも、ショートトリップへと出発。
空港で次の展覧会のタイトル、今度つくる本のタイトルなど決めました。

2014年2月19日水曜日

2/19


2014年2月16日日曜日

new radicafe

















三重県 四日市。あたらしくなったradicafeが移転openしています。

先日、打ち合わせでお邪魔して来ました。
また壁画を描かせていただくことになりました。
今回は強行スケジュールで時間切れで、食事をすることが出来ませんでした。
でも厨房からいいにおいが。たぶんやっぱりおいしいでしょう。

ところで、写真右下に注目。
radicafe

2014年2月15日土曜日

風景(遠い)




















les paysages lointains

遠い風景は水と土とわたしが呼吸する空気。
壮大にえがくのではなくて、きわめて個人的な。
そういう眺めこそポケットにしまって大切にすべきものと言えましょう。

2014年2月12日水曜日

2/12 「コーヒーのかみさま」




ある人にエチオピアの聖書を見せてもらった事があります。
それは小さな革と木で出来ていて、巡礼のコプト教徒の旅人が持ち歩いていたそうです。
丁寧に開くとそこにはびっしりと聖書の詩句が書かれていて、随所に魅力的な挿絵が描かれていました。神聖さとかわいらしさ、それに小さくて常に持ち歩かれ、繰り返し読まれる、という書物としての理想のかたちがあることに感動しました。

日が経って、あるとき、珈琲の絵を描いてみようかと考えました。
ご存知の通りコーヒーの発祥の地はエチオピアです。
連想でエチオピアのあの聖書の絵のことを思い出しました。
「コーヒーのかみさま」

2014年2月11日火曜日

les dessins














今、できたてほかほかのデッサンが名古屋のバブーシュカにあります。
届けてすぐに売れたそうです。
いったいどなたが。
知ってる人かな、知らない人かな?
もしかして知ってる人のような気がします。笑。
ありがとうございます。
デッサンは楽しい。
バブーシュカの杉村さんに言われて久しぶりに描いた。あいかわらずの線。
失敗するかなと思ったら大丈夫だった。
失敗したのも残してある。失敗したのも失敗じゃないのだ。
デッサンの分厚い本を作りたいなあ。
しかも柑橘類だけの。
あきれてしまうような!

2014年2月10日月曜日

2/10

今回の東京の選挙にどうして関心があったかというと、政治主導でこの国が原発をやめるかどうかの最後のチャンスだったと思ったからです。
次はもうこんなチャンスは来ないでしょうね。
政治家とか、大企業やマスコミの中で働いている人とかを含め、東京に住んでいる人は果たしてあの原発事故をほんとうに自分や家族の問題と考えているのか?ということにも個人的にとても関心がありました。
でもやっぱり東京の人は忙しいです。とっても。

ある種のあきらめ、絶望とともに頭の仕切りなおし。明日からを生きたいと思います。
次からまた絵の周りのお話に戻します。

2014年2月9日日曜日

2/9

東京。


歯がゆい!
悔しい!
怒りが収まりません。

というか悲しいかな。もーいやな予感しかありません。


2014年2月8日土曜日

2/8

私には選挙権はありませんが次の東京の都知事には細川さんになって欲しいと思います。
細川さんだけが即原発ゼロを最優先に挙げているからです。

都知事選をめぐる意見を聞いたり読んだりして、実は放射性物質の怖さを甘く見ている人が本当に多いということがわかりました。本気で危ないとは思っていない。
原発即ゼロを最優先にしないと次の大地震でみんな死んでしまいます。
原発事故はそれくらい危ないものなんです。福島の時は西風が助けてくれたけど今度も助けてくれるというのでしょうか。

浜岡原発を始め、全国の原発が再稼働する動きを始めています。
浜岡原発のあのぺらぺらの防護壁を見ましたか?電力会社がやっていることはまったく信用なりません。

原発災害で死んでしまっては元も子もありません。
あたり前ですが死んでしまっては音楽も聴けないし、本も読めない。美味しいものも食べられない。
家族、友だちにも会えません。

平時であれば宇都宮さんでもいいとおもいます。
でも今は非常時だと思います。

2014年2月5日水曜日

ひとこと2

その一方、ひとの輪郭とそのひとがつくったモノ(痕跡)の輪郭は不思議なことに似てしまう。絵、音楽、デザイン、料理、言葉。だから別人の作だったら見破られる…はず。

いつも思うこと。→ほんとうは出来上がった作品(?)にサインを入れる必要はないのでは?

ひとこと

もし私の絵が私でないゴーストペインターが描いたものだとしても「絵」の側にとってはなにも問題ではないこと。事件になって人がいくら騒ごうとモノである「絵」はぴくりとも動じない。燃やされなければ朽ち果てるまでそこにあり続ける。そんなことを今日のニュースを読みながら思った。